今月の釈迦説法
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今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

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2015年10月

人生は苦である

「悩みは私を育ててくれる糧になる」


人生は苦である、というのは仏教の基本的な教えの一つであります。

それを単純にうけとめますと、仏教は人生を消極的に眺めて、厭世的な考え方をしている、と考えられるかもしれません。

たしかに、人生は苦であるというこの教えは人生を消極的に否定するものである、とみる人もありました。しかし、仏教はけっしてそのように考えているのではありません。

無知(無明)と欲望(煩悩)にみちた私たちの現実であっても、その無知と欲望の中を貫いて永遠なる光が輝き、大いなる生命が流れている、さらにその無限なる光と生命にめざめるとき、現実の苦をそのままに超えて生きる道が開かれる、と説いているのです。

大乗仏教はとくにこの教えを説き、それを展開しています。

人生は苦である、ということは、明らかな智慧によって知られた人生の真相です。

そこには人生への深い洞察、認識が示されているのですが、それとともに、無知と欲望による苦悩の世界を貫いて、この闇黒の人生を照破する光がある、と説いています。

この光は私たちが苦悩をこえることのできる「まこと」の力です。

闇の中に光があるということをたしかな事実としてうけとめるとき、私たちは、たとえどんな現実に出会おうとも、その現実を生き抜いていくことができます。

またいかなる苦悩や悲しみをうけようとも、それらによって人生の真実(まこと)を教えられ、苦悩を超えていくことができるのです。

仏教の本質は、私たちがこのような人生の真相にめざめ、人生を真に生き抜いていくことのできる道を明らかにしているところにある、といえます。

したがって、人生は苦であるという教えは、私たちがまことの人生の道を歩む根本を説かれたものなのです。

ただ自己の幸せや利益だけを考えて、何とか苦しみや悩みを逃れたい、というような生き方にとらわれていては、この教えの真の意味はわからなくなってしまいます。

亀井勝一郎氏は、「悩み」ということについて、それは人間として生まれかわるための陣痛であり、悩みをもたない人には新しい生命(いのち)の誕生はない、といわれています。

つまり、悩みを逃れたいとか、避けたいとかと否定するのではなく、悩みを担い、真正面からその解決に取り組んでいくことが大切です。
そのときの悩みはかえって私たちを育ててくれる心の糧となるのです。

健康をほこり、この世の幸せにとらわれるときは、考える必要のないことを考え、かえって病気のときとか、苦悩のとき、人間として考えなければならない大切なことを考える、という生命の現実を見よ、といわれた人がいます。これは実に意味のあることばだと思います。

一般的にいって、私たちは病気になってはじめて健康の有難さを知り、苦悩を経験してはじめて人生というものを見直すのですが、さらに深く考えますと、病苦を知ってはじめて、健康なときいかに大切な人生を無駄にし、自己の欲望にとらわれて人生を無意味にすごしていたか、ということに気づかされるのです。

そうしますと、病苦は人生の師であり、また人生を見直し、自己をみつめて、人間とは何か、ということを根底からたずねていく大切な指標である、といえます。

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