今月の釈迦説法
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今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

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2016年4月

悪を転じて善となす

「不幸も幸せも自分に与えられたもの」

 

早島鏡正先生の著書の中に、かつて日本で世界宗教史学会が開かれた時、その部会の一つに、「いか

にして幸福を得るか」というシンポジウムが催された。そのシンポジウムにおいて、東洋を代表した、インド

のダンデカール博士と、もうひとりは、ヨーロッパの代表者として、アメリカの牧師さんとが、それぞれ意見

を出されて、それにもとづいて、討論が行われたそうです。ダンデカール博士は、「幸福というものは、苦

しみをとり除くことによって、得られるものではない。苦しみの中にあって、それにわずらわされないところ

に、幸福が得られる」といいました。それに対して、ヨーロッパの代表者は、「幸福というものは、苦しみを

一つ一つとり除くことによって得られるものである」と反対の意見を出しました。

仏教の立場からいいますと、ダンデカール博士と同じ考えであって、どんな苦労の人生であっても、その

苦しみを御縁として、喜ぶことのできる自分になったということは、全く本願他力の働きによるものであります。

これを親鸞聖人は、「悪を転じて善となす」といわれました。

「転ずといふは、罪を消し失はずして、善になすなり。よろずの水大海に入れば、即ち潮となるがごとし。」

(『唯信鈔文意』)

谷川の清水も、雨上がりの濁水も、大海に入ると、海の一味になるように、清水と濁水とを二つに分けて

考えるのではなくて、清濁とも受け入れられ、海の功徳によって、一味にかえられていくのであります。

このように、仏教においては、幸せ、不幸の二つを別々にして、考えるのではありません。

不幸は私の外にあるもの、あるいは、自分に与えられたものではなくして、不幸は自分自身が作って、

しかも、自らそれによって苦しみ悩んでおります。自分が不幸な人生を歩んでいるならば、それから逃げ

たり、その苦悩をとり除くことを考えるまえに、逃れようとしても逃れることのできない苦悩を、如来は、わ

たくし一人のため、「不請の友」となってご苦労くだされ、その如来の大悲のおこころが、至りとどいた時

に、たとえ苦しみの中にあっても、それにわずらわされない、無碍の大道が、開かれてくるのであります。

お互いに病気の苦しみは、誰もが経験したくないものでありますが、生身の体をかかえておりますから、

いつ我が身にふりかかってくるかわかりません。

脳腫瘍で亡くなられた婦人が、生前に病床で綴った詩の中に、

 

人の世は 上をみれば上で

下をみれば下で限りなし

われ半身不随なれど 未だ右手あり

耳あり 右足あり

われ脳腫瘍なれど 未だ色彩あり

言葉あり それもやがて消えゆく

身なれど なお念仏あり 大悲あり

如来あり 浄土あり

われなお幸せなりき

 

とうたっておられます。この婦人は、最初、脳腫瘍と知らされた時には、どんなにか苦しみ、悲しみ悲嘆

の淵にしずまれたことでしょう。しかし、平生に聴聞されていた婦人は、医師も家族の者も見放したこの

自分を、どこまでも見捨てることのできない、如来の大慈悲にすべてをおまかせした幸せが、そのまま詩

となって、自然に表されたものでありましょう。

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