今月の釈迦説法
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今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

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2016年5月

生きていることの意味

「私の人生をさまたげるものは何ひとつない」

 

本願寺の即如(大谷光真)前門主は、伝灯奉告法要法要に当たって「教書」をご発布になりました。

「教書」は、人間としての究極的な問題の解決こそ宗教の課題であると示され、念仏者の生き方と

使命を明らかにされたものです。その「教書」の冒頭に、宗教は、人間のかかえている究極的な

問題、すなわち、老病死の苦悩の解決にかかわるものであります。釈尊が出家される機縁となった

のも、その問題であり、老病死が迫っていることに気付く時、人間は、今ここに生きていることの意味

を問わずにはおれません。この問題を解決しようとするところに、宗教の根本的な意義があります。

というおことばがあります。

私たちは、つねに「今ここに生きていることの意味」を問い続けるべきです。宗教は、いつも「今」を

問題にします。「今のこの私」こそが問題となるべきです。然るに私たちは、ともすると、目先の生活

のあれこれに心が奪われて、この私の「究極的な課題」に取り組むことを忘れがちです。そして、

老いて自由が利かなくなり、病んで孤独の思いを抱き、死を控えて自らのいのちのよりどころがは

っきりしないと、神々を求めてさまよいつづけます。あげくの果てに、人は、人生そのものに絶望し

てしまうのです。

堂々と生きるということは難しいことでありましょう。日常生活のなかで、何の危惧も抱かずに生きる

ということは、凡夫の身にとって不可能に近いと言えるでありましょう。しかし、どのような状況に身が

置かれようとも、苦を転じ、かなしみを転じて、いつでも平気で生きられる場を見出すことが出来る

なら、これほどすばらしい人生はないと思うのです。

『歎異抄』の第七章に、

念仏者は無碍の一道なり、そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇の敬伏し、

魔界・外道も障碍することなし。

とありますが、「無碍」ということは、私たちの人生そのものをさまたげるものは何ひとつないという

ことです。しかしそれは、苦しみやかなしみがなくなるということではなくて、念仏者には、どのよう

な苦難をも乗り越える力が与えられるからこそ、平気で生きてゆくことの出来る身にならせていただ

くということでありましょう。

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