今月の釈迦説法
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今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

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2016年6月

仏教で説く「生死」

「恵まれた生、限られた生を無駄にしない」

仏教では、「生死」(しょうじ)と、生と死をいつも一つにして考えています。すなわち、「なぜ死
ぬのか?」といえば、「生まれたから」であり、「生きているから」であります。生まれないものが
死ぬこともありませんし、生きていないものが死ぬこともありません。
ですから、死の因(直接原因)は生なのです。病気や事故は、死のきっかけとなった縁(間接条件)
であります。病気になって、初めて死がやってくるのでもなく、事故に遭って初めて死に出会うので
もありません。
死は、この生命が、この世に誕生したときから、いつも生と同居しているのです。私たちは、そのこ
とを忘れ、死を他人事として、毎日をウカウカと過ごしています。
私たちは、生きていることを当たり前と受け取り、死を特別の出来事のように思っていますが、本当
は逆なのです。生きているものにとって、死は当然のことであり、いつなん時、どのような縁で死ぬ
かもしれない私が、今、ここに生きていることのほうが大変なことなのです。
ある先生は、「生は偶然。死は必然」とおっしゃっています。私たちは、「生は当然。死は偶然」と
思っているのではないでしょうか。
それで、「あの人は、たまたま悪い病気にかかったから死んだ」とか、「あの犬は、たまたま事故に
あったから死んだんだ」と考えて、あの人も不運な人、あの犬も運が悪いぐらいにしか受けとってい
ないのではないでしょうか。あの人だけではありません。あの犬だけの問題ではありません。生きて
いる以上、私たちも必ず死ぬのです。あまりうれしいことではありませんが、このことだけは、はっ
きりしておかなければなりません。
なぜ、こんないやなことを強調するのかといいますと、私たちは、死を忘れるとき、知らず知らずの
うちに、生命を粗末にし、安易な生き方になるからです。いつ何時、死に出会うかも知れない生命で
あるということを知った人は、恵まれたこの生命を粗末にすることなどできないはずでありますし、
また、生きている今を、いい加減に過ごすことなどできるはずもありません。
仏教が、「生死」という言葉で、生とともに死から目をそむけないのは、恵まれた生命、限られた生
を一時も無駄にしたくないという意(こころ)のあらわれであります。西洋にも、古くから「メメン
ト モリ」(死を忘れるな}というラテン語の句があるそうです。これも、「短い生を、一時も粗末
にするな」ということをいおうとしたものでありましょう。
現代ほど、死を忘れさせてくれるものが、周りに充満している時代はありません。私たちは、死を目
前から遠ざけ、ひいては、生をすら見失って、ウカウカと日を過ごしているのではないでしょうか。

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