今月の釈迦説法
お問合せ電話番号
福岡県福岡市博多区博多駅南3-18-28
(博多駅から1.4km)

今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

概要写真

2017年4月

阿弥陀さまとは

「あみだ」の世界から「あみだ」の世界へ

 

私たち人間にも、それぞれ名前があるように、仏さまにも、それぞれお名前があるのです。

いつもあたたかいまなざしで私たちのことを見まもっていてくださる私たちの仏さまは、

阿弥陀如来というお名前なのです。私たちは、阿弥陀如来というお名前を、親しみをこめて

「あみださま」と呼ばせていただいているのです。

「ののさま」とは、幼児語で、仏さまということです。たくさんの仏さまの前で「ののさま」

といっても、どの仏さまなのかわかりませんが、「あみださま」一仏の前で「ののさま」と

いうとき、「ののさま」とは「あみださま」ということになります。

浄土真宗は、「あみださま」一仏のお心を聞かせていただく教えですから、「仏さま」と

いっても「ののさま」といっても、それは「あみださま」のことなのです。

では、私たちが朝夕お礼をしている「あみださま」ってどんな方なのでしょう。「あみだ

さま」のお名前について、『仏説阿弥陀経』の中で、お釈迦さまは、舎利弗よ、かの仏を

なぜ阿弥陀仏と申しあげるか、そなたはどう思う。と、自ら問い、

舎利弗よ、かの仏の光明にかぎりなく、十方のあらゆる国々を照らして、何ものにも妨げら

れることがない。それゆえ、阿弥陀と申しあげるのである。また舎利弗よ、かの仏の寿命と、

その国の人々の寿命も、ともにかぎりなく、実にはかり知れぬ無限の長い時間にわたっている。

それゆえ、阿弥陀と申しあげるのです。と、自ら答えておられます。

「あみださま」の「あみだ」とは、インドの言葉で、「はかることができない」という意味で、

「無量」と漢訳されます。では、何が「はかることができないのか」、といいますと、「寿命」

と「光明」をはかることができないのです。ですから、「あみだ」とは、「はかることのできな

い寿命(無量寿)」、「はかることのできない光明(無量光)」ということです。

「あみださま」は、正式には「阿弥陀如来」というお名前ですが、「如来」とは、「如(にょ)

から来た方」ということです。「如」とは「真如(しんにょ)」ということで、「あるがまま

の世界」ということです。

「あるがままの世界」とは、「無量寿」・「無量光」の世界、すなわち「あみだの世界」です。

ですから、「如来」とは「あみだ」という「あるがままの世界」から来てくださった方という

ことです。

では、何のために「あみださま」は、如から来てくださったのかといえば、「あみだ」という

「あるがままの世界」を見失って、「私が」という小さな自我の殻に閉じこもっている私たち

に、「あみだ」という広い世界を教え、みんなが「あみだ」の世界を生きる身になってほしい、

と願われるからです。

私たちの「あみださま」阿弥陀如来は、小さな自我の殻に閉じこもる私たちのために「あみだ」

の世界から「あみだ」の世界に帰れと呼びに来てくださった「仏さま」なのです。

  • 前へ
  • トップページ
  • 次へ