今月の釈迦説法
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今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

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2018年9月

「無常」の中で

なにものをも恐れない勇気があたえられる

 

年老いた者がだんだん衰えて死に、若い人が元気であとに残るのが、一応の順序であるとはいう

ものの、それが必ずしもそうはならないで、子どもが親に先立ち、昨日までピンピンしていた人

が今日はこの世にいない。そんな一見矛盾したことが、あちらでもこちらでも起こります。

それが私たちの生きている世界の姿なのです。このような姿を、無常とか苦とかいい、仏教はこ

のことをくり返しくり返し説いているのですが、私たちはこれに耳をかたむけようとしたかった

り、ついうかうかと聞き流しています。

釈尊は、八十歳でおなくなりになる三カ月前に、弟子の阿難(あなん)に向かって、自分の余命

がいくばくもないであろうことを、それとなくお告げになりました。しかし阿難は釈尊のお言葉

の意味に気がつかず、むしろ、この超人的な偉大な師こそは、いつまでもこの世に在って、弟子

たちを導かれるものと考えていたようです。ところが、やがて釈尊の死が決定的なものであるこ

とがわかったとき、阿難は、「師よ、何故(なにゆえ)に、かくも早く逝きたまうか」と、泣い

てかきくどいたというが、マハー・パリニッバーナ・スッタンタ「大般涅槃経」(だいはつねは

んぎょう)という経典の中に述べられています。

しかし、釈尊の死はけっして急にやってきたのではなく、実は数カ月前、いや数年も数十年も前

から徐々に迫っていた、決定的な事実だったのではないでしょうか。だから釈尊は、阿難に向か

って、「汝(なんじ)は、もっと早く、私の死の影に気づくべきであった」といっておられます

。まさに、阿難は、うかつだったのです。

しかし一体、私たちの誰が、阿難のうかつさを、心からさげすみ、嘲笑うことができるでしょう

か。他人の運命はおろか、自分自身の明日をも知らず、毎日をすごしているのが、私たちの姿で

はないでしょうか。そして突然たった一人の夫に、妻に、子に、さらに自分自身に死がやってく

る。そのとき、生身の人間として、「色即是空(しきそくぜくう)―形あるものは本来空なり」

と、わり切ることができるでしょうか。

私たちは幸いに、『阿弥陀経』や親鸞聖人によって、生命が終われば必ず極楽に往生し、そこで

「倶会一処」(くえいっしょ)「みな倶(とも)に、一つ処(ところ)に再会すること」の喜び

にあわせていただけることを、お教えいただいております。そしてこの確信は、「聴聞」(ちょ

うもん)「み教えを聞くこと」の積み重ねによっていよいよ深まり、その結果、なにものをも恐

れず、むしろ力いっぱい清く正しく生きる勇気を与えられて行くのです。これが浄土真宗であり

ます。

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