今月の釈迦説法
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今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

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2019年2月

火の車 作る大工はなけれども 己がつくりて 己が乗りゆく

日頃、私達が何気なく使っている言葉にはその語源が仏教であるものが実に多いのです。その一

つに「火の車」があります。火の車とは仏教語「火車(かしゃ)」を訓読みした語です。火車と

は火の燃え盛った車の事で、獄卒の鬼が生前に悪行を働いた者を乗せて地獄へ運び、責め苦し

めるといわれるものです。その為、この火の車に乗せられた者はひどい苦しみを味わうことか

ら、苦しい(経済)状態を表すようになったそうです。とんちで有名な一休禅師がこんな法話

を残されています。『火の車つくる大工はなけれども己がつくりて己が乗りゆく』この歌は誰

が「火の車(苦しみの状態)」にしているのかという事を詠まれたものです。そして私達が自

らの執着心(物事にとらわれ、離れられなくなる心)によって、自らを苦しめ、その苦しみの

絶えない世界である地獄(自業苦)を作り出しているのだという事を示されているのでしょう。

ものが縛るのではありませんものをとらえる心に縛られるのです。まさにそうなのです。

自らの執着心によって自身を縛りつけ、苦しめているだけなのです。「わかる」という事と、

「できる」という事には大きな隔たりがあります。私達は都合が悪くなったり、苦しくなった

りすると、火の車を作り出しているのは、私以外のせいなのだと考えてしまいます。 そして、

「世の中や時代が悪い」とか、「あの人のせいだ」と責任転嫁し、ついには「こんなはずでは

なかった」と愚痴をこぼすのではないでしょうか。

そして、「わかっちゃいるけど、やめられない」というのも私達の有り様でありましょう。

だれしも台所が火の車と言われるような、生活に困窮した生き方はしたくありませんが、お金

が不自由するのも、あるいは人生に難問が降りかかってくるのも、みな自分自身の思いと行動

の結果ですよ。木像も下駄もよくよく見ますと、同じ1本の木で彫られていますが、木像に彫

られた木は人に拝まれ崇められ、下駄に加工された木は人の足に踏まれます。

一本の同じ木から作られたのに、大勢の人から丁重に扱われる木像になったり、あるいは彫り

方によっては、人の足に踏まれる下駄になったりもします。人間もこれと同じで、仏像になる

のも下駄になるのも、決して他人が彫っているのではなく、あなた自身が心のおもむくままに

セッセセッセと彫って、今あるあなたの生活状態を形作っているのです。あなたも、自身の為

にも、次のことに留意し心を彫ってみましょう。

 

①名位にとらわれないこと

・名声とか名誉というのは頼りないものであり、これらの名位が天から授けられるのならまだ

しも、人間が評価して与えるような名誉など、その時その時で、変わってくるものです。

②悪衣悪食を恥じないこと・みすぼらしい服装をしていることや貧しい食事を恥じと思うよう

な人は、まだまだ一人前の人間とは言えません。

③寸暇を惜しむこと・学問をするには、暇がないということはなく、仕事に打ち込むことでも、

机に向かっていることだけが仕事ではありません。いつでもどこでも頭を働かせることは可

能であります。

④争わないこと・他人との争いほど自分の心に毒を積むものはありません。争いで勝っても、

相手の恨みの念を買い、いずれは自分自身に跳ね返ってくるものです。

⑤志は満たさないこと・何ごとも腹八分目がよく、志を達成すれば、そこから堕落の始まりと

なります。

⑥日に三度、我を顧みる・昔から人のフリ(人の言動など)見て、我がフリを直せという言葉が

あります。これは論語に出ている言葉ですが、あの孔子さまでさえ、日に三度は反省したと

いうのに、我々は日に何回反省しているでしょうか。

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