今月の釈迦説法
お問合せ電話番号
福岡県福岡市博多区博多駅南3-18-28
(博多駅から1.4km)

今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

概要写真

2019年12月

今年の漢字

毎年年末の恒例でもある、今年の漢字が発表されました。今年の漢字は、「令」です。

この字は、日本最古の歌集、万葉集から決まった「令和」を理由に挙げる人が多かった

ほか、法令遵守や警報発令や避難命令なども理由となったようです。昨年の漢字は、

「災」一昨年は「北」、「金」「安」「税」「輪」「金」「絆」・・・。

この今年の漢字は、1995年(平成7年)から始まり、今年に至っています。今までの中で一番多

い漢字は、「金」という字で過去3回選ばれました。その中でも注意して見て頂きたい漢字は、

2011年(平成23年)度の「絆」です。本来この絆という漢字は、犬・馬・鷹などの家畜を、通

りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ・呪縛・束縛の意味に使われていたようで

す。「ほだし」「ほだす」ともいう。人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すように

なったのは、比較的最近であるようです。2011年(平成23年)に起こった東日本大震災以降よ

く目にし、よく聞かれる漢字となりました。人との絆であったり、人との繋がりという事を改

めて考えさせられたという声をよく耳にしたものです。私たちが生きていく上で「絆」も「繋

がり」もとても大切なものであります。しかし、注意してよく見てみると、この二つの文字に

は共通して言える事があります。それは、「絆」も「繋がり」も目には見えないという事です。

では、目には見えないからと言って「絆」と「繋がり」は、私たちの周りには無いのでしょう

か。そうではありません。目には見えませんが、確実に「絆」も「繋がり」もあります。では

どのように存在するのでしょうか。それは、「ハタラキ」として存在するのです。

私という「いのち」が今ここに存在しています。今ここに存在しているということは、確実に

両親がいるからです。両親がいるということは、祖父母がいるからです。祖父母がいるという

ことは、曾祖母がいたからです。この時点で私から3代です。

このように続いてきた上にあるいのちであるということを誰もが知っています。しかし、思い

を寄せることが出来るのは、せいぜい曾祖母までです。なぜなら、両親の名前は言えます。

祖父母の名前は言えますか?ギリギリ言えるかと思います。では、曾祖母(8人)の名前を言え

ますか?恐らく言えないことかと思います。そりゃそうです。曾祖母ともなれば、顔も知らない

し声も聞いたことが無いし会った事も無いからです。だから、私たちが「いのちの流れ」に思い

を寄せて行く時、せいぜい思いを寄せることが出来るのは曾祖母(3代前)となるのです。それも

8人全員ではありませんね。しかし、曾祖母がいたということは、高祖父(高祖母)がいたからで

す。このようにいのちを辿っていくと、3代で8人。10代で1024人。20代で104万8576人。

30代ともなると、10憶7374万1856人となります。ざっとの計算で約1500年前となります。人

類が誕生してから100万年とも200万年とも言われてますが、計算していくと、恐らく天文学的

な数字となります。たった30代で約10憶7000万人です。この中のたった1人いなくても、組み合

わせがどこかで1組でも違っていたら、私という「いのち」は今ここに存在していません。

このように大きないのちの流れ(ハタラキ)の上から見ると、私のいのちは針の穴ほどの目にも

見えないほどの小さないのちかもしれませんが、その針の穴ほどの小さなわたしのいのちの上に

は、数えることのできない、量り知ることのできないほど大きないのちのハタラキが働いている

のは紛れもない事実です。ではそのいのちのハタラキは目に見ることはできますでしょうか?

目には見えませんが、わたしのいのちの上で確実に働いているのがいのちのハタラキでありま

す。数えることのできない、量り知ることのできないいのちによって今ここに生かされている

いのちが、わたしのいのちです。これを別の言い方で、「お預かりしたいのち」とも言います。

わたしたちのいのちは「お預かりしたいのち」であります。だとすると、このいのち大切に大切

に生きなければなりませんね。

「いのちを大切に」ということをよく耳にしますが、1000回2000回いのちを大切にというよ

り、「なぜいのちは大切なのか?」とたった1回問うことの方が大事な気がします。

宗教抜きに「いのち」は語ることはできません。今ここで改めて「いのち」について考えてみ

たいものです。

ちなみに先ほど、祖父、曾祖母、高祖母と言いましたが、その逆をみなさま知っていますか?

私-子-孫-曾孫-玄孫(やしゃご)-昆孫(こんそん)-仍孫(じょうそん)-雲孫

(うんそん)となります。

  • 前へ
  • トップページ