今月の釈迦説法
お問合せ電話番号
福岡県福岡市博多区博多駅南3-18-28
(博多駅から1.4km)

今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

概要写真

2020年7月

迷惑かけずに死にたい

終活することと あなたの成仏とは無関係です

玄隆寺(京都)

 

大学生の就職活動(就活)に引っ掛けて、人生の終わりを想定して準備しましょう、と名づけら

れたのが「終活」です。相続の問題や葬儀やお墓のこと、家族も知らないようなこと、もろもろ

を「エンディングノート」に書き込んでおき、「いざ」というときに備えるわけです。

誰しも「死」だけは絶対に避けては通れません。そこで、几帳面な人ほど、周りに迷惑をかけま

いと「終活」に励むことになります。ですから、終活するとは「迷惑をかけない」ことの最終形

態と言えるかもしれません。

しかし、迷惑をかけずに生きて死ぬことなど本当にできるのでしょうか?以前、宗教評論家のひ

ろさちやさんの講演を聞いたことがあります。ひろさんのお母さんは、「ぽっくり死にたい」

「ボケたらみんなに迷惑をかけてしまう」と頻繁に言っていたそうですが、これに対してひろさ

んは、「あんたは生きている限り迷惑だ」と言い放ったというのです。初めて聞いたとき、私は

「ずいぶんひどいことを言うな」と思いました。ひろさんは「うちの母親だけではなく、すべて

の人間はみな生きている限り、周りに迷惑をかけまくっている存在なんです」と続け、「どんな

人間でも迷惑をかけることが当たり前。それを無視して、死んだ後のことをすべて自分で決めよ

うとする『終活』にはエゴがつきまとっています」と指摘しました。「迷惑をかけないこと」は

日本人の美徳の一つと思われています。

確かに美徳ではあるのですが、その意識が社会の中で過剰になりすぎて、「人は周りに迷惑をか

けずには生きられない」という真理を無視してしまう。そうなると、多くの人々にとって生きづ

らい社会になってしまうのではないでしょうか。仏教の中には縁起という教えがあります。

縁起とは縁って起こる(よっておこる)。つまり、自分は世界のあらゆるものと関わっていて、

それらのおかげで成り立っているということです。

親鸞聖人は『歎異抄』(たんにしょう)の中で「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟

(せせしょうじょうのぶもきょうだい)なり」とおっしゃっています。

これはつまり、「すべての生きものはお互いがいつかどこかで兄弟であったかもしれない」とい

うことです。もし、そのような視点や考え方を持つことができれば、周囲の人に対する見方や関

係性が変ってくるのではないでしょうか。

私たちは周りのひとびとと支え合いながら生きています。支え合いながら生きているということ

は、そのまま「迷惑をかけ合いながら生きている」ということです。内田樹さんが以前書かれた

本のタイトルに『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋)というものがありまし

た。もともと人間は「ひとりでは生きられない」のですから、周囲に感謝の気持ちを持ちながら

「お互いに迷惑をかけ合う能力」を積極的に磨くことも必要なのかもしれません。

 

補足

「迷惑をかけるな」と教えるのは道徳

「迷惑をかけている」と教わるのが宗教

人は生まれて今日まで誰にも迷惑を一切かけずに生きてこられた方はいるのでしょうか。

もちろん答えは「ノー」です。この「迷惑」という言葉自体の響きがどうやら自身を顧みる時、

迷惑をかけずにという問いに戸惑いを感じているように思います。

「迷惑」でなく「支え合う」という言葉に置き換えてみたらどうでしょうか。人は生きていく上

で人を支えたり、時には支えられて生きています。「人」という漢字もそうですね。

どちらかの作りが無くても「人」という字は成り立ちませんね。あからさまに「迷惑」と分かる

行為はもちろんダメですが、「お願い事」と「ありがとう」ではないでしょうか。

人にものを頼む時、迷惑になるかもしれないかなと思う事はよくありますが、これを迷惑と捉え

ず「〇〇お願いしていい?」と愛嬌よく言うたならば、次に出てくる言葉は「ありがとう」です

ね。それが、支え合い支えられる精神行だと思います。

 

  • 前へ
  • トップページ
  • 次へ