2021年3月
あんじんを求めて
大丈夫だよ
生きていけるよ
正徳寺(東京)
この標語が掲げられたお寺は旧品川宿にあります。ご住職は「掛けかえると、門徒さんから戻し
てくれと言われてしまい、十年以上掛けかえられない標語です。
ある意味、お寺の標語になっています」とコメントされています。確かに心の奥底が温かくなる
素晴らしい標語ですね。最近、駅のホームで電車を待っていると、「人身事故」という表示を見
ることが多く、その都度、気持ちが重たくなります。日常茶飯事のように、人が傷つき、亡くな
ってしまう。私も何度か事故現場に出くわしたことがありますが、自死する方の多くは脳裏を何
か嫌な記憶が横切ったりして、発作的に飛び込んだりするようです。
特に月曜日は人身事故が増える傾向にあります。「大丈夫だよ 生きていけるよ」どんなに嫌な
ことがあっても、常にこの言葉が心の中にしっかりあれば、こうした命が失われることを防げる
のではないでしょうか。
人はみな、多くの「不安」を抱えながら生きています。だから「安心」を求めます。仏教では安
心と書いて「あんじん」と読みます。「あんしん」と「あんじん」は何が異なるのでしょうか。
それぞれの宗派によって「あんじん」の意味する内容は異なります。主に禅宗系などの宗派では
修行によって得られる安定した心の境地、浄土系の宗派では阿弥陀仏の救い疑わず、浄土への往
生を求めることを一般的に指します。
それなら私たちが求めている刹那的な「あんしん」とは異なり、永続的に心に影響を及ぼすもの
です。ですから、「あんしん」ではなく、仏教的な「あんじん」を求める生き方をしてみてはい
かがでしょうか。
補足
癒しというものは、一定の時間だけは癒しの効果がありますが、しばらくするとまた不安になり
ます。そうすると、もっと強烈な癒しが必要になります。
ある意味でそれは麻薬的なものなんです。仏教が与えてくれるのは、癒しではなく『安心』で
す。真実の安心です。殺伐とした世に生きる私たちが安心を得る為には、仏教の教えから安心を
得る事が大事です。仏教を開かれた釈尊は、この現実世界を「苦」であるとみきわめ、それを乗
り越える道を示されました。私たちは日々多忙な生活を送る中で、「人は、生まれ、やがて老い
病み、そして死ぬ」という事実に気づくことなく時を過ごしてゆきます。
けれども、ひとたび病や死によって、その厳然たる事実を目の前にするとき、不意に、今まで日
常性の中に埋没していた自己に出会うとともに、不安と驚きの中で自己の現実に迷い、ただいた
ずらに苦しまざるを得ません。
釈尊は「世の常の人びとは、避けがたいことにつき当たり、いたずらに苦しみ悩むのであるが、
仏の教えを受けた人は、避けがたいことを避けがたいと知るから、このような愚かな悩みをいだ
くことはない」と説かれました。
老病死の現実に直面し苦悩する人すべてに対し、仏教本来の教えが正しく伝わり、真の心の安ら
ぎが恵まれることを切に願うばかりです。老病死といういわば釈尊の教えの出発点に立つことに
よって、み教えにふれる一人ひとりの心の眼が開かれ、真の安らぎが与えられることを願ってや
みません。