今月の釈迦説法
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今月の釈迦説法

釈迦が菩提樹の下で悟り、説いた教えとは中道(ちゅうどう)、縁起(えんぎ)、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。
これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとされています。

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2021年11月

紙一重の幸せ

辛+一=幸

超覚寺(広島)

 

「辛いという字に一を加えると幸いになる」何やら暗号のような、最近はやりの「東大生が考え

た脳トレ」のような・・・。

掲示板大賞の常連である超覚寺のご住職の話によると、「辛さと幸せは紙一重」と表現したかっ

たようです。「辛い出来事」を辛いままで終わらせるか、あるいは「幸せな出来事」にするか。

それは自分の心次第だということでしょう。作家の村上春樹さんが『走ることについて語るとき

に僕の語ること』(文藝春秋)の中で、あるマラソン・ランナーの言葉を紹介していました。

「Pain is inevitable.Suffering is optional.」日本語に訳すと、「痛みは避けがたいが、苦しみは

オプショナル(こちら次第)」という意味になります。これはつまり、肉体の痛みはどうしよう

もありませんが、それをただの苦しみとするか、そこから痛みを超えて何かを得るかは自分次第

だということです。

以前、よくフルマラソンを走っている同級生が「42.195kmという距離設定は非常によくできて

いて、どんな人間でも30~35km地点を過ぎると必ず自分の思い通りに走れなくなってくる」と

言っていました。それを聞いて私は「一切皆苦」(いっさいかいく)、つまり、人生は思い通り

にいかないというブッダの教えを思い出しました。

私たちは日々を過ごしていく中で、マラソンの35km過ぎのように、思い通りにならないトラブ

ルや災難に必ず見舞われます。トラブルや災難は辛いものですが、そのようなときだからこそ周

りのやさしさが身に沁みたり、当たり前と思っていたことが当たり前ではない有り難いことだっ

たと気づかされたりと、学ぶことが数多くあります。

トラブルに遭遇して、辛さの中に閉じこもるか、トラブルを広い視野で見つめて学ぶべきことを

受け止められるかは、まさに「オプショナル」、こちら次第です。そして学ぶべきことと受け止

められれば、その後の人生が大きく変わっていくのです。もちろん、トラブルが大きければ大き

いほど、辛さに閉じこもる時間は長くなり、視野を広げるには多くの時間を要します。しかし、

災難を単なる災難として終わらせず、そこから数多くのことを学ぶことによって、それが単なる

「辛い」ではなく人生に新たな視点を与えてくれる「幸い」になってくるのです。

古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの言葉に以下のようなものがあります。「上り坂と下り坂

はひとつの同じ坂である」坂は、ただの坂にすぎません。人生のゴール(死)を迎える時になら

ないと、そのときに自分が置かれている状況が自身にとって、「上り坂」であったか、「下り

坂」であったかはわからないものです。

現在の自分の置かれている境遇を短絡的に「幸」や「不幸」と決めつけず、できるかぎり前向き

に捉えて生きていきたいものです。

 

補足

「しあわせ」と聞くと、皆さんはどちらの「しあわせ」を思い浮かべますか?多くの方が「幸

せ」を思い浮かべることでしょう。けれども、辞書で「幸せ」と調べても、幸せのみの表記は

出てきません。

大辞林で「しあわせ」と調べると、しあわせ【仕合わせ・幸せ・仕合せ・倖せ】

①めぐりあわせがよいこと。幸運。幸福。

②めぐりあわせ。運命。とあります。

幸せを多くの方は①にあるような、幸運や幸福を、幸せと思い浮かべるでしょう。その幸福を大

辞林で調べると不自由や不満もなく、心が満ち足りていること。とあります。心が満ちた時に人

は幸せ・幸福を感じるのです。私は美味しいご飯をお腹一杯に食べた時に、幸せを感じます。

皆さんも様々な場面で、幸せを感じることがありましょう。けれども、このお腹一杯で幸せな私

の幸せは、私一人の力で成されたのでしょうか。食材を作ってくださる農家の方がいて、運ぶ方

がいて、調理をする人がいて、提供する場があって。他にも様々なことが重なり合って、今私は

幸せを感じられているのです。この幸せは一人では決して成しえないということです。

「しあわせ」のもう一つの意味としてめぐりあわせ。運命とあります。元々「しあわせ」という

言葉は、幸福感を表すのではなく、その成り立ちを表している言葉でした。

「仕+合わせる」様々なことが重なり合って、物事は成り立っているということです。良いこと

も、悪いことも、悲しいことも、辛いことも全て含めて「しあわせ」でした。いつしか幸福だけ

を幸せと認識され、本来の「仕合わせ」が見えにくくなってしまいました。ついつい、何かある

と私一人の力でと思いがちになってしまいます。けれども、どんなこともおかげ様。「しあわ

せ」の本来の意味を大事にしながらたくさんの「仕合わせ」を感じて、日々を歩んでいきたいも

のです。

 

 

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